冬の一日 7

7

「石川、大丈夫か」

握ってくれている手を軽く引っ張られる。

「あ……うん」

「ああいう人間は汚いものに触れる機会が多いから、
 そういうものに飲み込まれてしまっているのかもね」

「……そうなの?」

「みんながみんな、そうではなくて一部だけだと思うけどね」


手渡された名刺には、
私でも聞いたことがある芸能事務所の名前が書かれていた。
あの男性が関係者であるのは嘘ではないんだろう。

ちらりと名刺に目を落とした斉藤さんが、
大きなため息をつきながら無造作にジャケットのポケットに入れた。

「本物かもよ?」

「うん、でも芸能界に興味ないから」

「すぐにでも有名人になれそうだけど」

「どうでもいいよ、大変だろうしね」

「でも前にモデルしていたんだよね?」

「10年以上も前の話だよ」

懐かしそうに笑って、私の手を引いて歩き出した。

「今でもスカウトされるのに?しかも電気屋さんで」

「それは思った!どうしてこんなところで?って。
 たまたま買い物にでも来てたんだろうね」

「聞いてもいい?」

「なに?」

「前にモデルをはじめたきっかけは?」

「あぁ、知り合いに頼まれたから、かなぁ。
 CDのジャケットとプロモに出て欲しいって言われて。
 学生だったし、マイナーで地味にやってる人たちのバンドだったらか、
 そのくらい良いよって、二つ返事でOKして撮影したんだ。
 一日で撮影は終わったんだけど、
 それを偶然見たモデル事務所から誘いを受けるようになってね。
 最初は断ってたんだけど、押し負けたというか、
 あんまり数はこなさないのを条件にやってたんだ」

「す、すごい!本物のモデル!」

さらりと言ったけれど、それってかなり凄いことなんじゃないのかな?

「いつまでやってたの?」

「にじゅう……いち?22歳までかな?」

「撮影した写真とかってないの?」

「ないよ、そんなの」

「えー、もったいない」

「写真が欲しくなったらデジカメがあるからね」

「そういう事じゃないよー」

「ハハハ、まぁ昔の話だよ」

「……最近でスカウトされたのっていつ?」

「うーん、秋頃に歩いててされたかな?」

あっさりと返ってきた返事に唖然とする。
もはやスカウトされるのが日常になっているのか。

「うわぁ……なんかもったいない!」

「俺がモデル再開したら、あそこで働けなくなるじゃん」

「あ、それは困るかも」

「だろう?」


なんの未練もないように思い出として話すということは、
もう一切モデルの仕事はやらないのだろうか。
人に見られる仕事ととはいえ、なりたくてもなれない仕事のひとつに、
簡単に手が届いてしまうこの人にとって、
たいした給料でないはずの雑貨屋で働く価値は、
どれほどのものなのか。

顔を整形したって、ダイエットを頑張ったって、
背が低ければなれないし、
雰囲気や魅せる力も必要なんだろうし……。
この人はそんな努力をしてきたのだろうか。


「あ、ほらあったよ」


お目当てのヒーターを見つけて笑った。

屈折することなんか、きっとなかっただろう子供時代。
雰囲気や仕草から伝わる品。
他の人とは一線を画す存在感。


生きてきた世界が違う。


ああ。
この人は生まれながらにすべてにおいて恵まれた人なんだろう。


「どうした?」

指先から伝わってくる優しさが、
本当に自分だけに向けられているなら、
こんな幸せなことはないけれど。

「なんでもないよ」

何も言われなければ、自信が持てない。


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| 「僕の一日」  | 03:25 │Comments0 | Trackbacks0編集

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