僕の一日  43


狭い診察室に、白衣を着た年配の男性が座っていた。
ぽっこりと出たお腹に、髪はボサボサで半分以上白髪。
60歳は超えているだろうか。

「どうぞ、座ってください」

言われるがまま椅子に座ると、看護師はそのまま俺の後ろに立った。

医者はこちらをチラリと見た後、問診表に目を落とす。

「咳もなく1週間近く熱が下がらないと」

『はい』

「嘔吐や下痢もなしか…」

問診表を机の上に置き、聴診器を耳に掛けた。

「心音をきかせてもらえるかな」

そう言ってこっちを向いたその目の色に心臓が鳴った。
さっきまで気づかなかったが、医者の目の色は日本人のものではなかった。
明るいブラウンの目。
目鼻立ちのハッキリした堀の深い顔。



「さて、失礼していいかな?」

『は、はい!すみません!』


医者が聴診器を手にしたまま、服を脱ぐのを待っていた。
あわててジャケットを脱ぐと、すかさず後ろにいた看護婦が「預かります」と言って、
たたんで近くにあるかごへ置いてくれた。


背中まで聴診器をあてると、「もういいですよ」と言って、また机の問診表に目をやる。

「ゆり、さんとお読みするんですね」

『はい』

「いま他に病院にかかっているとかないですか?記入はないけれど」

思いもよらない質問と、医者がまとう空気に声が詰まった。

怖い、わけではない。
ただ後退りをしてしまいそうな・・・・・・。

問診表にある現在服用中の薬や通院している病院、病名の欄は空白のままだ。
医者に話すことは別に構わないが、記入中に斉藤さんが来たら、と考えてしまい、
何も書かずに出してしまった。

『すみません・・・・・・いまは精神科の方に・・・・・・』

「そうですか。病名は?」

『病名、ですか?』

「はい。何が理由で病院に通われているのですか?」

深みのある目が、声の強さを増幅させる。
注意深く観察しているような目。

『えーと…不眠と軽いうつ、です』

「そうですか。では何の症状が一番辛いですか?」

『え?』


何?と聞かれると、うまく答えられない。
うつなのだから、それらの症状と不眠なんだけど。

『眠れないこと、ですかね』

目をそらし苦笑にも似た笑みを浮かべて答えた。

「分りました。今から点滴をします。
 3時間ぐらいかかると思いますが、時間は大丈夫ですか?」

『点滴ですか?』


反応するのにわずかに時差が生じた。


「はい。飲み薬も出しますが、まずは少しでもその身体を落ち着かせないと」

『病院は、閉めるのでは?もう時間が…』

「構いませんよ。患者さんがこの状態ではそのまま帰すわけにもいきません」


飲み薬だけで終わると思っていたのが間違いだった。
治療を拒むわけにもいかないし、なによりこの状態を早くなんとかして欲しい。

おとなしく点滴をしてもらおう。
そしてさっさと治そう。

斉藤さんもかれこれ1時間は待たせっ放しだ。
先に帰っていいと言っても、何時間でも待ってるって言いそうだけど。


「誰か待っているのですか?」

『はい、知り合いに車で乗せてきてもらって、今も待っているんです』

「では一度電話した方がいいですね」

『じゃぁ、ちょっと電話してきます…』


病院の外へ出て電話をしようと立ち上がると、後ろで待っていた看護師に制止させられた。

「患者さんはもう他にいないので、ここで掛けて大丈夫ですよ」

『え…いいんですか?』

「はい。気にしないでください」

看護師は目を細めて静かに笑うと、医者の横を通って部屋の奥へと向かった。
医者もその後ろを追って行った。

気を遣わせただろうか。
ジャケットから携帯を取り出し電話を掛けると、すぐに繋がった。


「もしもし?どうだった?」

『すみません、待たせてしまって。このあと点滴で3時間はかかるとかで…』

「そうだろうねぇ。いいよ待ってるから。終わったら連絡もらえるかな」

『いや!じ、自分でタクシー呼んで帰りますから、大丈夫です!』


想像通りの返答に慌てて返した。
送ってもらったあげく、4時間以上待たせるなんて出来っこない。


「いやいや。気にしなくていいよ。こんなことになるだろうと、
 すでに近くのファミレスでゆっくりしてるんだよね。だから気にしないで」

『で、でも…』

「俺がいいって言ってるんだからいいのだよ。ちゃんと治療してもらいなさい。
 じゃぁ、そろそろ点滴の準備も終わるだろうから、電話切るね」

『あ!!ちょっ……』


携帯からはツーツーと虚しく音がした。
想像通りの返事だった。


「電話は終わりましたか?」


部屋の奥から医者の声がした。


『はい、なんかすみません…』

「さぁ、こちらへどうぞ」


医者のあとをついていくと、そこにはベットが4つ並んでいた。
一番隅のところで、さっきの看護師が点滴の準備をしているのを確認すると、
医者は何も言わず部屋から出て行った。

「時間がかかりますから、眠っててください」

看護師が優しく言った。

気持ちのいい声。



ベットに横になり、重い身体を布団へあずける。
少しだけ安心して目を瞑り、深く息をした。


「では、失礼しますね」


そう言いながら看護師が俺の左袖に手をかけた。
瞬間、無防備に投げ出していた左腕を弾くように自分の胸元へ戻した。

驚いている看護師に気づいて、「やってしまった」と後悔する。

自分がそうであるように、この手の反応は人によってひどく傷つくものだ。


『す、すみません…なんでもないです』

「い、いえ・・・・・・」

やっぱり気を抜いている。
この看護師の声のせいか。

自分の左腕のことを忘れていた。


『右腕にしてもらえますか?』

「あれ?右利きですよね?」

『そうなんですが…あの…』

「それは構いませんが、長い時間するので不便かと思いますが…」

『大丈夫です。右腕でお願いします』

「わかりました」


腑に落ちない顔をしたまま、点滴スタンドを移動させた。
その間に右腕の袖をまくって、また横になった。

針が刺さった瞬間、懐かしい痛みが走った。
左腕に似た、痛み。

看護師なのだから、こんなの気にしないんだろう。
わかっているのに、どうして拒否したんだろう。

「苦しくないですか?」

『…大丈夫です』

冷たい液が血管の中を通っていくのがわかる。

「じゃぁ、ゆっくり休んでくださいね」

滴下数を確認してから、静かにカーテンを閉めて行った。

見慣れない天井を眺め、まもなく深い眠りに入っていた。



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