僕の一日  42

俺のマンションから車で30分程度の場所に位置する住宅街。
一度も来たことのない場所だ。
ほとんどの家で一階の部屋の明かりがついている。
車の中から眺める家々はあたたかい家族風景を連想させた。
家族仲良く夕飯を食べ、「今度の日曜日には何処に行こうか」なんて会話が聞こえてきそうだ。

家族団欒なんて、それはもう遠い昔のこと。
そんなのとっくに忘れてしまった。
部活を終えて家に帰って、食事が用意されているなんてことはほとんどなかった。
寂しいなんて思ったのは最初の頃だけ。
そんなものを感じる時間も余裕もなく、学業と家事を必死にこなしていたように思う。
「自分だけじゃない」と言い聞かせ、泣くことすらなかった中学時代。
高校生にもなれば慣れたもので、日常となったそれらを苦痛と思うこともなくなった。
部活には入らず、すぐ家に帰って家事をして、子供なりに母親の力になりたいとがんばっていたあの頃。
そんな姿が周囲には不憫に映ったのか、近所のおばさんから「うちの残り物だけど」と、
夕飯のおかずをもらうことが多かった。
それらをテーブルに並べての夕飯。
おいしかったし、お腹は満たされていたけど、食事が楽しいなんて思わなかった。
そのせいか今では食べることに執着がなくなって、高校の頃よりだいぶ痩せてしまった。

そんな身体を彼女はいつも心配してくれた。
斉藤さんもみんなも心配してくれた。
とても優しい人たち。


「ここだよ」


車を停止させながら、斉藤さんが言った。
周囲から比べると広い敷地に3階建てのシンプルな家。
塀に「戸倉内科医院」と書かれた看板が掲げれれている。
駐車スペースが5台分あり、そこはすべてうまっている。


「ひとりで大丈夫かな?」

『はい、ありがとうございます』

「この辺で待ってるから。終わったらメール入れてもらえる?」

『わかりました』


小さく頭を下げて、車を降りた。



受付を済ませ一番隅の椅子に座り、目をつぶったまま自分の名前が呼ばれるのを待った。
オルゴールの優しい曲が流れる待合室にはもう自分しかいない。
ゆったりとした空気が漂う空間に少し気持ちが楽になって、
眉間に寄っていたシワが取れかけていたときだった。


『っ!』


キンッ!と耳に音が刺さる。
反射的に両耳を押さえ、強く目を瞑り歯を食いしばる。
突然襲ってくる音のせいで和らいだ気持ちがまた強張りはじめ、眉間のシワが一気に深くなる。
耳を押さえた手に自然と力が入り、意識がまぶたの奥へ集中していくのが分った。


どうしたというのだろう。

待合室にはもう自分しかいないのに。

「誰」の音も聞こえないはずなのに。

…気持ちが悪い。

吐きそうだ。


最近はここまでひどいのはなかったのに。
どうして急に。

「有利さん!!」


耳に入ってきたのは自分の名前を呼ぶ声。
左手を耳から少しだけ離して声のした方へ顔を向けると、若い女性の看護師が急ぎ足でこちらへ向かってきた。


「大丈夫ですか?何度お呼びしても返事がないから、
 どうしたのかと…早く、診察室へ」

すぅっと消えていく耳に刺さった音。
心配そうな声には優しく暖かい色が含まれているのがすぐに分った。
高すぎず低すぎず、けれど女性らしい艶のある声。
日々の中でたくさんの人の声を耳にしているが、これだけ色濃い声にはそう簡単に出会うこともない。
一度聴いたら忘れられない。

『すみません…大丈夫です』

何事もなかった様に返事をしながら立ち上がると、看護師が俺の左腕を優しく掴んだ。
治りかけていた手首の傷が疼きだすのを感じながら、
掴まれた腕から伝わる熱をゆっくりと内側へ流していった。


そういえば誰かに腕を捉まれて嫌々ながらも、黙って見て見ぬふりをしたことを思い出した。

あれは誰だったか。
うまく思い出せない。
ただこんな優しさはなかったような気がする。


あったのは独占欲。

それは痛みを含んだ冷たい感触。


でもそれは自分の内側の感触でもあった気もする。


「大丈夫ですか?」


光沢を含んだ声が耳の奥に入る。
閉じかけたまぶたが、わずかに重力に逆らった。

『・・・何度もすみません、平気です』

反射的に笑顔で答えた自分に違和感を覚える。
仕事じゃないのに、なにをしているんだろう。


「こちらです」


腕に伝わる熱に連れられ、記憶の隅にあるひとりの女性を思い出せないままゆっくりと歩き出した。



あのときは自分から階段を降りていったんだ。


長い爪と香水が絡みついた夜。


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| 「僕の一日」  | 23:26 │Comments2 | Trackbacks0編集

コメント

音と香り
ハルさんご自身もそうみたいですが、この有利くんも音に敏感なひとなのでしょうね。
絶対音感とか、それに近いものとか、ハルさんもお持ちですか?
完全な絶対音感を持つひとって、日常生活がつらいとどこかで読んだことがあります。

私の母は「絶対」ではなくてもかなり音感がありますが、私にはない、ゼロに近いです。
と、あまり関係ないほうにそれてしまいました。

斉藤さんはなぜ、こんなにも彼に親切なのか?
女性の場合は下心(悪い意味ではなく)もあるかと思えますが、そういう下心は持たないはずの斉藤さんは……今後に注目しています。
あと、香りの記憶も気になりますね。

2013.03.23(Sat) 12:39 | URL | あかね|編集

あかねさま
絶対音感なのかどうか、自分ではよくわからないんですが、音楽は音符になって聞こえます。
ただテレビに出るような人みたいに、何でもかんでも音に変換できるわけでもないし、
曲のすべてを一気に音符にするような音感でもないんです。
もう10年以上音楽から離れて、やっぱり音感は悪くなってるみたいです。
耳が良いことは特に問題ないことなんだと思います。
ただ、楽器をする人にとって音感が良すぎると、楽譜に書いてある音と、実際に鳴っている音が違う場合、
演奏しながら混乱してしまいます。
そういう部分ではしんどいところがあるかもしれないですね。

と、話がずれてしまいました(笑

確かに女の人は下心で世話を焼いたりしますよね。
そんなつもりないのに、逆に好かれてしまったり。
斉藤さんが考えてることって、そこまで?!、てなところまでいってそうです。

痛みには鈍い有利ですが、それ以外には敏感です。
きっと鈍い人を羨ましがっているでしょう。

2013.03.30(Sat) 23:26 | URL | ハル|編集

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