春の一日 27

27


浴槽の栓がされていることを確認して湯はりのスイッチを押した。


寒いだろうからと、
クローゼットにしまっていたハロゲンヒーターを引っ張り出し、
浴槽にお湯を溜めている間に洗面所を暖めるようになった。


ひとりのとき洗濯はいつもお風呂に入ってる間にするようにしていて、
洗い終わるまで湯船につかり、
そのまま浴室乾燥機をつけて、風呂場に干していた。

「カビ防止になるし、次の日すぐにお風呂溜められるし」と、
浴槽のお湯はすぐに捨てていて、
洗濯機にはバスポンプがついているのに一度も使ったことがなかった。

洗濯をしない日も、すぐに栓を抜いていた。

エコだ省エネだと世間が言う中、
自分はかなり資源を無駄に使っていると自覚していが、
改善しようとする気持ちにもなれなかった。


けれど、彼女が来てから浴槽のお湯は捨てなくなった。


明日、遠赤ヒーターを買おう。
寝るとき以外はリビングにいるにしても、
着替える時は部屋なわけだし。
エアコンがなくても平気と言っていたけど、
あの部屋だけ寒すぎる。


「って、……なにを……」


なに考えてんだ俺は。


こんな、この先もここに居るみたいなこと。


「疲れてる……」


さっさと寝ないと、明日がキツイだけだ。
そうじゃなくても万年睡眠不足なんだし。


「俺だって、ただの男ですよ、有利くん」


彼が俺に対して憧れを抱いている理由を、
分からないわけではないが、
多分、たくさん勘違いをしているし本当のところを知らないだけ。

大半の人がそうであるように、俺だって例外じゃない。

綺麗な部分だけ見ていると、あとで幻滅するだけだ。


リビングに戻ると彼女が食器を洗おうとしているところだった。

「いまスイッチ押してきたから、こっちのお湯の出が悪くなる。
 ここは俺があとで片づけるから先にお風呂入る準備してくるといいよ」

スポンジを取ろうとする手を止め、水道のレバーを抑えた。
納得のいかな表情を浮かべている。

「たまには俺がするから、ゆっくり入りなさい」

掴んだ手を引いてそのまま彼女が使っている部屋へ向かう。

「明日、遠赤ヒーター買ってくるから」

「……いらないよ」

「寒いだろ?」

「平気」

「まぁ、あとで俺が使ってもいいわけだから、買ってくるよ」

「いらない」

「……」


意地になってるわけじゃないのだ。
おそらく本当にお金を使わせることを申し訳なく思っている。
他人のお金を自分に使うことに罪悪感があるんだ。

「気にするな、と言いたいけど、難しいんだろうな。
 まぁ、俺の好きなようにさせてくれ」

「……でも」

「逆の立場だったら同じことしてるだろう?」

「……うん」

「そういうこと。
 他人に思うように自分にも優しくするといいよ」


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| 「僕の一日」  | 01:25 │Comments0 | Trackbacks0編集

春の一日 26

26

ふいに、無言になった石川が俯いた。

「どうした?」

髪を撫でていた手を止め、
顔を覗き込むと寂しそうな笑みを浮かべた。

「なんでもない」

眉間にしわ、引きつった口元。

泣きそうだ。
さっきまであんなに大声で笑っていたのが嘘のように、
涙を浮かべていた。

「……ごめん、なんでもない」

俺に背を向け涙を拭う仕草をした。
何か傷付けることを言ったか記憶を巡らせたが、
とくに思い当たらない。

ズズッと鼻をすする音を聞いて、
テーブルの上に置いてあったティッシュをとった。

「ごめ……」

ティッシュを受け取り涙を拭いて言った。

「ダメだね、私」

「何が?」

「……なんかもう……」


そう言って息を詰まらせるように泣いた。


寒い季節になると不安になると、以前話してくれたことがあった。
理由は言わなかった。
ただどうしようもなく怖くなる、と言っていた。

その言葉通り、冬になると体調を崩す日が多く、
原因は風邪ではなく精神的なものがほとんどだった。
過呼吸で倒れたのは初めの年だけだったが、
翌年からは倒れる前に休むようにしていただけで、
状態が良くなっていたわけではなかった。
病院には行っていないし、行きたくないと言っていた。

「……石川、もう休もう」

23時になるところだ。
明日もお互い仕事だし、俺も少ししか寝ていない分、
身体は重くだるい。


浴槽にお湯を溜めに行こうと立ち上がると服を引っ張られた。

「お風呂に入ってスッキリするといいよ。
 話したかったらそのあとで聞くから。いい?」

服をつかむ手を離してリビングを出た。


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| 「僕の一日」  | 00:24 │Comments0 | Trackbacks0編集

春の一日 25

25


財布を手にリビングに戻ると、背筋をピン伸ばし、
緊張した様子でソファーに座っていた。

「そんなに構えなくても特に怖いものは出てこないよ」

「だって!」

「まぁ、おちついて」

隣に腰をおろし、財布からクレジットカード、
ショップのポイントカード、免許証、保険証をテーブルの上に並べた。

「見ていい?」

免許証に手を伸ばす石川に、どうぞ、と手で合図した。

「……え?」

手にした免許証を数秒間見つめたあと、目を丸くしてこっちを見た。

「それが本名だよ」

驚いた顔でほかのものと免許証を見比べ、
次第に難しい顔になっていった。

「クレジットカードとポイントカードが免許証の名前が微妙に違うんだけど……」

混乱気味に首を傾げる石川の表情を見て、
くすくす笑いながら説明した。

「まず本名はコレ」

免許証と保険証を指さした。

表記されている名前は、斉藤ノエ葵。

「ノエがミドルネームで葵が名前。わかる?」

「え?!ミドルネーム?!」

「そう、ミドルネーム。ミドルが入って本名。
 もちろん戸籍もこれで登録されてる」

「え?どういう……」

「日本じゃミドルネームは普通つけないんだけどね、
 父親がどうしてもつけたかったんだって。
 戸籍にミドルの欄がないから名前の方にくっつけて登録したわけ」

「じゃぁクレジットとポイントカードは?」

クレジットカードには、「AOINOE SAITO」。
ポイントカードは「斉藤葵」となっている。

「ポイントカードは厳密なものでないから、ミドルはいつも省いているんだ。
 ほとんど問題なく作れるし、手続きが面倒そうなのは作らないようにしてる。
 クレジットカードは俺が作った時は銀行と同じ表記にしなきゃいけなくて、
 銀行は名前の後ろにミドルをもってきてあるから、
 “斉藤葵ノエ”で登録することになったんだよ。
 銀行やクレジット会社によって違うみたいだから他の人がどうかは知らないけど」

「??」

さっぱり理解できていない様子で、
カードとにらめっこする彼女の頭に手を置いた。

「要するに、俺の本名はサイトウ・ノエ・アオイ。
 厳密な書類以外はミドルは省いてるから、
 ほとんどのものにミドルネームは書かれてないんだよ。
 会社にも省いて登録してもらったから、
 給料明細も斉藤葵で印刷されてる。
 今まで気づかなくて当然と言えば当然かな」

「でも!前にクレジットのサインしてるの見たけど、
 ミドルネームなんて書いてなかった気がする」

「あぁ、サインは何もフルネームで書かなきゃいけない決まりはないんだよ。
 カード裏の署名欄にしたものと同じのを書けばいいんだ。
 俺はAoi Saitoで署名してるから」

「へぇー……そうなんだぁ」

免許証とクレジットカードを手に納得した様子で呟いた。

「ミドルネームって初めて見た」

「日本じゃ珍しいからね」

「そうだよね」

「これで理解した?封筒に書かれていた名前の謎」

「うん、分かった。でもビックリした」

「だいたいの人がミドルネーム見てビックリするよ」

「だよね」

「うん」

「うん」

「うん……ふっ」

「……」

「ふふっ、あははは!」

「……あははは!」

またふたりで笑いだし、お互い涙目になる。


「すごい緊張したわりに拍子抜けだろ?」

「うん、ホントどういう事なんだろうって考えてたから」

「特に理由はないんだよ。
 普段面倒だからを省いてるだけ」

「そっか。そうなんだ」

「そう、そうなんデス」

「ありがとう、教えてくれて」

「まぁ隠すことじゃないけどね、変に勘ぐられるのも嫌だから言わないだけだよ」

「分かった。誰にも言わない」

「うん、そうしてくれると嬉しい」


髪を撫でると嬉しそうに笑った。


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| 「僕の一日」  | 15:26 │Comments0 | Trackbacks0編集

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