僕の一日 69

翌日、朝食を済ませたあとすぐに病院での手続きと支払いを終え、
アパートに戻り部屋の片づけを始めた。

スーパーから段ボールをいくつかもらって、適当に服を詰め込む。
もともと荷物は少ない。
布団とわずかな食器と服と家電製品と。

ワンルームの古びたアパートに特に愛着はない。
近所の不動産屋ですぐに別の部屋を探した。
仕方なかったこととはいえ、井浦さんに保険証を見られ本名や生年月日、住所を知られてしまった。
それらを他の人にばらしたりするような人じゃないと思うが、
知られてしまった以上、このままいることは出来ない。

他の客に住んでいる場所を知られて何度か押しかけられたことがあるし、
引っ越すいい機会だ。

今度はホストクラブから少し遠い場所に住もう。
通うのは大変かもしれないけれど、仕事とプライベートの切り替えを、
もっとうまくできるかもしれない。

その日のうちに見つけたのは8畳1Kのマンションの2階。
以前住んでいたところより3万円程、家賃の高い部屋。
これといって特別なものがあるわけでもない、普通の一人暮らし用のマンション。
けれど1年半前なら到底借りられなかった家賃75000円の部屋は綺麗で、わずかに心が躍った。

退院から3日後には引っ越しをしてアパートを引き払い、住所変更などの手続きを済ませ、
ホストクラブにもその旨を伝えた。

その2日後に井浦さんが店に来た。

「大丈夫?」

『はい、もう平気です。色々と迷惑かけてすみませんでした』

「あのね、私……」

『井浦さん、忘れてください。
 ただ体調が悪かった、それだけです。
 あのとき僕が言ったことも全部なかったことにしてください』

「でも……」

『すみません、ちょっと席はずします』

急に襲ってくる吐き気に慌ててトイレに向かう。
胃の中にあったものを全部吐き出したあと、口をゆすいだ。


もうだめだ。

やめよう。

こんなのは。

体調を整えてもう一度最初からだ。

今日までの1年半はなかったことにしよう。

新しいところで最初から始めよう。

まだ19歳だ。

もっと頑張れる。

もっと働かなくては。

せめて弟が自立するまでは。


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| 「僕の一日」  | 01:27 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日 68

誰かが俺の名前を呼んでいる。
遠く方から聞こえてくる声に返事が出来ない自分に首を傾げる。
声がでない。のどが変だ。
熱は少しあったけれど風邪をひいていたわけじゃないのに。
今日はあったかくして眠ろう。
ちゃんと眠らないと、身体がついてこなくなる。
そうじゃなくても色々とぼろぼろなのだから。

『……』

ぼんやりと目を開いた。
思考がまとまらないのは眠っていたせいらしい。
ゆっくりと自分の置かれている場所を見渡した。
自分が眠っているベッドの周りを囲むカーテンの先からは、人の気配はない。
腕には点滴の針が刺さっていて、
ベッドの脇にあるテレビ台のところに俺のカバンが置いてあった。

どうやら病院に運ばれたようだ。

ベッドから起き上がり点滴の下がったスタンドを手に病室を出た。
入口には「有利和哉」の名前が書いてある。

『……この病院は』

廊下から見える景色に見覚えがあった。

鮮明に蘇る記憶。
あの日も夜だった。


ここは、総合病院だ。


ナースステーションで自分がどういう状況なのか尋ねた。

「街中で突然倒れて救急車で運ばれました。
 検査の結果、身体に異常は特に見当たりませんでしたが、
 大事をとって一晩入院とのことです」

『誰が手続きをしてくれたのですか?』

「倒れた時に一緒にいた井浦さんという女性の方です。
 ご実家の連絡先が分からなかったので代理人として手続きしていただきました」

『いまは?』

「一度家に帰られるとのことです。
 すぐに戻ると聞いていますが……」

『ありがとうございます』

軽く会釈をして病室に戻り、カバンの中を調べた。
携帯を開くと着信とメールが数件あった。
時刻は21時50分。
すぐさま店に連絡を入れる。

電話に出たスタッフから「大丈夫か?」と本気で心配する声が聞こえた。
井浦さんが電話をいれてくれていたらしい。
「一緒にいたのが医者でよかったな」と言われ、俺は苦笑するしかなかった。

『明日はでられると思うので……』

話してる途中にコンコンと会話を遮るようなドアを叩く音がした。
反射的に表情が険しくなる。

『すみません、それじゃ失礼します』

通話を切り携帯をカバンの中にしまってからドアに向かって「はい」と返事をした。

「入っても大丈夫?」

静かに開けられたドアから井浦さんが顔をのぞかせた。

『いいですよ』

「ごめんね、一緒にいたのに気付けなくて」

『井浦さんのせいじゃないですよ。俺の不摂生がいけないんです』

「でも、何度も会っていたのに全然わからなくて……」

『僕はあなたの患者じゃないんです。わからなくて当然ですよ』

「さっきの会話で私が言ったこと、気にしてる?」

『なんのことですか?』


泣きそうになる気持ちを抑え笑顔で答える。


『そういうので倒れたわけじゃないですから、井浦さんが気にすることもないですよ。
 ところで手続きは井浦さんがしたと聞いたんですが……』

「あ、うん、ごめんなさい、財布から保険証見つけて、分かる範囲で手続きして……。
 ご両親に連絡を入れなきゃいけないと思ったけど、
 連絡先がわからなくて……携帯もロックかかってるし」

『いえ、実家に連絡はあとでいれておきます。
 あとの手続きや支払いは自分でするので大丈夫です
 足を運ばせて申し訳ないのですが、今日はもう……』

「ここに知り合いの医者がいるから、調子が悪ければ診てもらえるように頼むよ?」

『いえ、明日の午前中にはアパートに戻ります。色々とありがとうございます』

「私なにか手伝おうか?」

『井浦さん』

いつもより強い調子で名前を呼ぶと、悲しそうな顔をしてうつむいた。

『本当にありがとうございます。すみません、今日はもう休みます』

「分かった……」

目を潤ませているのがわかった。
医者としての責任を感じたのか、自分が話したことが精神的に追い詰めたと感じたのか、
なにかさせてほしいという気持ちが伝わってきたが、俺にはもう無理だった。

あのとき俺は初めて本当のことを口にした。
親にすら言ったことのないこと。

そういうの分かるよ、と、言いたいこと分かるよ、と言って欲しかったわけじゃない。
ただ……。

これから先、誰にもこのことを言うのはやめよう。
誰にもわからないし、分かってもらえなくていい。
こんな思いは二度としたくない。



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| 「僕の一日」  | 03:13 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日 67

言葉を選びながら、少しずつ、
生まれて初めて、自分が感じていることを人に話した。

自分の内側に入って来たものを消化できず、入れ物はいつもいっぱいで、
突然溢れ出すそれを拾おうと手を伸ばすが、これっぽっちもつかめない。

なにか大事なものが自分から落ちていくようで。

「そういうのは聞いたことないよ。
 共感覚とも違うし。
 私はあんまり精神科の方は詳しく分からないけど、感覚過敏なのかな。
 少なくても私の知ってる中には人はそうやって生きてる人はいないし、
 普通はそういうのは理解できないと思うよ」


誰にも話したことはなかったのに。


「カウンセラーがいる精神科に行った方がいいかもしれない。
 必要なら知り合いの医者に診てもらえるか聞いてみようか?」

人格を全否定されたようだった。

震える手で無意識に胸を押さえていた。

あぁ、どうやって息をするんだっけ……。
最近は特に眠れていなかったな。
これから先もこんな毎日が続くのかな。
でも、もうこれ以上は……。


だって、これは普通じゃないわけだし。

意識を失う瞬間、耳元で必死に名前を呼ぶ声を聞いた。



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| 「僕の一日」  | 01:58 │Comments2 | Trackbacks0編集

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