僕の一日  21

冷めた目をした自分に気付く。
ピッタリとくっついて離れない自分の客の前でも。

絡みつく指も、香水の匂いも、自分に向けられる甘い想いも、
フィルターを一枚通してから理解している。
同じお店に、同じ人間を選んで来るということは、
何かしらのそういう感情があると分かっている。
その気持ちを利用することは、客だって店に来る時点で分かっているだろう。
互いの間に必ずあるのがお金だということも、言われずとも分かりきっている。

嬉しそうに笑ってくれているのに。
俺を指名してくれているのに。


本当はこんなこと、したくはない。


愛想笑いして、嫌いなタバコにまみれて、お酒飲んで。
自分に触れてくる女性たちを全員受け入れて。


こんなことしている自分が嫌だ。


それでも必要なものがある。
お金が欲しい。
必要だ。
ただ、それだけ。

それだけの理由なんだ。

逆に言うと、だから働けているのかもしれない。
仕事そのものへの思いなんて何もないから。
目的のためだけに、動くだけだから。


それでも時々、思う。

みんな、寂しいのかなって。


あさましい自分を感じるとき同時に、俺の隣へ来る女性たちの手を、
ただ、握ってやりたいと思うときがある。

俺を選ぶ理由やお金のことは抜きに、
こんな自分を必要だと思ってくれるだけで、
それだけで充分と思う自分がいるのも事実だった。


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| 「僕の一日」  | 19:19 │Comments3 | Trackbacks0編集

僕の一日  20

綺麗な装飾で作られた空間。
多くのシャンデリアが光る。
複雑にカットされたガラスが多くの光源を散乱させる。

お店に合った高級ソファーとテーブル、グラスやスプーンにいたるまで、すべて社長が選んだものらしい。
あの人のセンスの良さがうかがえる。

2Fの隅からすでに多くの女性が来店していることを眺め、小さく息をした。

目を閉じ自分の中をリセットさせる。
ココで“有利”の名前を呼ばれることはない。
別の世界で別の人間。
本当の自分じゃない。

大丈夫。
今日も笑える。
笑顔を作れる。

ひたす自分に言い聞かせた。
そこに声がかる。

「直哉さん、指名が入っています。5番テーブルです」

『・・・・分かりました』

ウェイターに返事をして階段を降り、目的のテーブルへと向かう。
1階に足を着いた時にはすでに笑顔を作っていた。


『お久しぶりです』

5番テーブルの前に着き、にっこりと笑ってみせた。

「キャー!直哉!久しぶり!元気だった?!早く座って座って!!」

20歳になっていないのではないかと思うほど、無邪気な声で若い女性が両手を振った。
高校生でも通りそうな顔。

『僕は元気ですよ。京子さんも元気でしたか?』

笑ってみせると、グイっと腕をつかまれて、そのまま隣に座らされた。
その様子を見て、それまでいたふたりのスタッフが席を立った。
お決まりのこと。
一緒にいてくれると助かるのに。
色々と。

「もちろん元気!!毎日待っていたんだから!!」

穏やかに笑う。
嘘の顔。

8人は軽く座れるだろうソファーにふたりだけ。
テーブルの上には、すでに空のボトルが1本。
こうやってお金を落としてくれる人がいるからこそ、自分はここにいられる。

このために、笑う。


「最近全然居ないから、来るのやめようかと思ってたー!」

『すみません。いろいろバタバタしていたもので』

苦笑いをしてみせる。

「まさか女じゃないよね?」


マニキュアで光る指が腕に絡み付いてることに気づいても、
それを振り払うことはない。
黙って自分の中で見なかったことにする。
笑って受け入れてるふりをする。

『そんなこと僕があるわけがないじゃないですか』

「そーだよねー。私がいるもんねー」

『そうですよ』


あるはずがなかった。
誰かに心許すことなんて。

ずっとひとりで、そのまま死んでいくと思っていた。
何かを想うこともなく。


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| 「僕の一日」  | 21:37 │Comments4 | Trackbacks0編集

僕の一日  19

色んな店の色んな看板があって、初めて来た人はきっと迷ってしまうだろう。
無数の建物がひしめきあっている。。
迷いもせずにその中のひとつのビルへと向かう。

狭い階段を2階まで上ってドアを開けると、いつもと変わらない様子でその人は座っていた。
大きな革張りのソファーに、大きなテーブル。
「まだそのソファーは早いだろう」、と世のサラリーマンが口をそろえて言うだろう。

たった3年で売り上げをトップクラスまで押し上げた凄腕の社長。
煙草がよく似合うその人はまだ30歳。
アルマーニで全身固め、自分は勝ち組だと疑わないその目と態度。
長い前髪をかき上げる仕草を、一日の間に何度も目にする。
自分はこうなりたくないと、心底思う。

「久しぶりだな。5日ぐらい会っていないな」

『・・・・・』

静かに部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた。

『・・・すみません』

間を置いて謝罪の言葉を言う。
毎日来れない事は了承済みなのに、どうしてそういうことを言うのか。

「まぁ構わない。お前が真面目なのはココへ来たときから知っている。
 遊んでいたわけではないのだろう」

煙草を灰皿に置いて、腕組みをしながら続けた。

「ほかの人より日数が少ないんだ。頑張ってくれよ。
 うちの店のには君目当ての客が多いんだからな。“直哉”」

『はい・・・・』

目の色を変えずに呼ばれた名前に返事をした。

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| 「僕の一日」  | 00:56 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日  18

薬のおかげで朝方には呼吸は落ち着き、そのまま眠ることができた。
目を覚ますとちょうど午後1時を回ったところで、
めずらしく空腹を感じ近くのコンビニへ向かった。

適当に選んだ弁当を手に、真っ昼間の太陽の日差しを浴びる。
少し、光が怖い。

この状態は良くないと分かっている。
本当はこのまま今日も眠っていたほうがいい。
そして明日は普通に出勤する。
それがいい。

そうしたいけれど。


家に戻ってレンジで弁当を入れ温める。
それを食べながら、このあと向かう場所を考えた。
箸が止まる。

『・・・自分で選んだことじゃないか・・・』

言い聞かせるように呟いて、弁当を全部食べた。

30分ほど休んでシャワーを浴びる。
虚ろな顔が鏡に映った。
濁った目を見るたび、嫌気がさす。

『大嫌いだ、お前なんか』

鏡に向かって言い放ち、思いっきり蛇口をひねって、
シャワーの水を鏡にぶちまけた。


いつもはそのままの髪も、この時だけはワックスをつける。
黒いスーツを着て、吸いもしないのにポケットの中にライターがあることを確認する。
普段とはまるで違う、黒いロングコートを羽織り、苦手な革靴を下駄箱から取り出す。

玄関のドアを明けると、夕日が傾き始めていた。
深くため息をついて、鍵をかけた。

向かう先は駅。
家路に帰る人たちに逆らいホームへと流れる。

夕方の駅は二つに分かれる。
家へ帰るために乗る者。
今から仕事へ向かう為に乗る者。

今の自分は後者だ。

目的地は日中のバイトとは逆方向になる。
ここからは少し遠い場所。

わざと遠い場所を選んだ。

自分を知る人に会わないように。
自分がひとりになれるように。

空いている席に目もくれず、車両の隅で立ったまま外を眺める。
どんな風景も、心揺らぐことはない。
どんな音も、遮断する。

そうやって1時間近く揺られ着いた場所は、バイト先の街中など比ではない、
光の絶えることのない大きな繁華街が広がっている。
帰りたい気持ちを抑え、内ポケットには彼女からのあの手紙を忍ばせて。

ゆっくりと光の中へ向かう。


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| 「僕の一日」  | 23:18 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  17


小さい頃から、人は他人の空気を自分の中に取り込んで生きるものだと思っていた。
すれ違う人たちも、ただ視界に入る人たちも風景や耳に入る音さえも。
空や風、太陽も光も全部。
自分の内に取り込み、消化するものだと思っていた。


けれどそれは違っていた。


そんな事をしているのは、そんな風に感じているのは、自分だけだった。


それを知ったとき、世界が変わった。
ただひとり、取り残されていく感覚に怯え、世界から目を閉じた。


それ以来、一切の捌け口を無くした。
幼い頃は無意識に出来ていたこと。
他人から取り込んだ空気の吐き出し方。
勝手に入ってくる空気の流し方。
落ちてきた空の戻し方。
音の拾い方。

すべて、出来なくなってしまった。
やりかたを忘れてしまった。

それ以来、溜め込み続ける日々が続き、限界を超えた。

入れ物からあふれ落ちた、たくさんのもの。
それをまた拾うことも出来ない。

要らないものが流れ出ることはなく、大事なものばかりが消えてゆく。
まだ自分の中で消化していないのに。

自分が流れ出ていくようだった。


そして突然、倒れた。



10代最後の夏だった。



それから病院に通う日々が始まる。
ただの過呼吸から、いつしか精神的なものをいろいろ患っていった。


今の時代、この程度、転がっているものなんだろう?


そう思って生きてきた。

でも。
自分が持っている感覚が相手に伝わったことは、一度もなかった。

だから自分を理解してもらおうと思わなくなった。



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| 「僕の一日」  | 02:14 │Comments4 | Trackbacks0編集

僕の一日  16

『はぁ・・・はぁ・・・』

治まらない呼吸を抑えながら、もう一度コップに水を入れる。
それを持ってソファーへと向かう。
テーブルの上に置いたままの薬を手にとり、水と一緒に流し込む。

溜め息混じりの呼吸をしながら、ソファーの上へ転がる。

あとは落ち着くのを待つだけ。

ただ待つだけ。

目を閉じ胸を押さえながら、ゆっくり呼吸しようと努力する。


もし、いま、彼女がいてくれたら、どれだけ、ラク、になれるんだろう?


そう思った頭を軽く振って、意識を立て直す。
バイトに行けば、彼女に会える。
そう思って、今をやり過ごす。

「大丈夫」と言った彼女の言葉を頭の中でリピートさせた。


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| 「僕の一日」  | 16:27 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日  15

自分の唸り声で目が覚める。
時計に目をやると、まだ午前3時過ぎだ。
嫌な夢を見ていた訳ではないのだけれど、汗だくになって過呼吸を起こしていた。

過呼吸はもう慣れた事だった。

ソファーから起き上がり、台所へと向かった。
コップ1杯の水を無理矢理流し込み、寝ぼけた頭を叩き起こそうとした。

『っ・・・・はぁ・・・』

意識がしっかりしてきても、過呼吸がそんな簡単に治まる分けではない。
流し台の前で、うなだれた顔をしながら軽く咳き込んだ。
涙が出てきた目を細め、視線を宙にそらしたとき、きれいに洗った食器が目に入った。
彼女がここに居た跡。

いまは居ない。
疲れきって今ごろ深い眠りの中だろう。


彼女は、ここには、いないんだ。


『・・・はぁ・・はぁ・・・』


まずい。
考えてはいけない。
大丈夫。いつもの事。
何も問題はない。

      
誰か・・・。


 
“誰か”


誰かなんて、そんなこと。   

分かっているじゃないか。
  

『分かってんだよっ!!』


無理やりに吐き出した言葉のあと、目には玄関が映っていた。
無意識に玄関の前まで歩いていた。

誰もいない玄関。

思い出したのは昨日の出来事。


胸を押さえながら玄関を見つめる。

音はしない。

気配もない。


誰も居るはずのない、部屋。



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| 「僕の一日」  | 16:26 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日  14

「さて、そろそろ帰ろうかな」

そう言いながら彼女はソファーから腰をあげた。

『時間か・・・駅まで送るよ』

コートを羽織る彼女の背中に声をかける。

「大丈夫だよ。ちゃんと道も覚えたし、迷わず駅まで行けるよ」

『もう夜中だよ』

「もう女子高生でもないよ」

笑いながらカバンを持って彼女が言った。
こっちの心配も気にしていない様子だった。

『だから、なおさらだよ』

その言葉に、俺の方を向いて少しだけ驚いた顔をした。
数秒、彼女の表情からいつもの穏やかさが消えた。

「分かった。じゃぁお願いしようかな」

申し訳なさそうに笑った。



彼女の隣を黙って歩いた。
小柄な彼女が少しだけ大きく見える理由は、その凛とした姿。
しゃんと背筋を伸ばして、まっすぐ前を見ている。
きれいで、強い空気はいつも変わらない。
横目で彼女を見ながら感心した。

俺が住んでいるアパートから駅までの道のりは歩いて10分程度。
便利な場所に住んでいることをうらやましいと、彼女は以前言っていた。
彼女が暮らすマンションは駅から自転車で20分位のところにあるという。
今日会った女性が通う大学がある駅だ。
マンションに着くころには1時近くになるだろう。

『今日はごめんね』

今日一日を考えると、彼女にとって大変な日だったに違いない。
忙しい毎日の中で、他の人へ意識を向ける大変さがどれ程のものか、
俺はまだよく知らないでいる。
いままでそれを必死に避けてきたから。

「どういたしまして」

彼女は静かに笑った。


その言葉を最後に、会話は途切れた。
けれどその空気が重いとは感じなかった。
逆に心地良かった。

静かな駅までの夜の道は、とても優しかった。


「ありがとう ここで大丈夫だよ」

駅前まで着いて彼女が笑った。

『本当にありがとう』

何も言わずに、彼女は笑った。

「じゃあね。おやすみ」

『うん。おやすみなさい』

手を振りながら彼女はホームの中へと向かった。
俺はただその姿を眺めていた。

彼女の姿が見えなくなっても帰れずに、ホームを眺めていた。

やがて電車が来る。
それに乗って彼女は帰る。
そんな、当たり前のことを。

どうしてこんなに辛く思うのだろう。


最終電車がホームに到着し、あたりまえに人を乗せて発車した。
遠く見えなくなるまで目で追いかけて、小さくため息をついた。
改札口からは疲れきった様子の会社帰りの人たちが、ぞろぞろと流れてきた。

それらから視線をそらし、来た道を逆戻りした。
もうここには優しい空気がない。


家に着き玄関の鍵を閉める頃には、いつもの目つきに戻っている自分がいた。


濁った目をしていることを、自分自身分かっている。
仕事場で見せる顔と、周囲に誰もいないときの顔。
ふたつの顔のうち後者が本当の自分。

いまの本当を押し殺し、笑う。
人前では笑顔で。

そうやって生きてきたんだ。


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| 「僕の一日」  | 16:24 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  13

「お弁当じゃなくて、何か材料買ってくれば良かったね」

『夕飯、食べたんですか?』

「まだだよ。家に今朝の残りあるから」

そう言いながら彼女は部屋を見渡して、少し安心した表情を見せた。

「ちゃんと掃除したんだね」

『病院帰ってきてから』

「そっか」

部屋の隅にカバンを置きながら、やわらかく返事をする。
彼女が部屋に入っただけで、空気の色が変わった。
優しく穏やかな温かい空気。

「冷蔵庫に何かある?スープぐらいならすぐに作れるけど」

コートを脱いでそっとカバンの上にきれいに置くと、
俺の手から弁当をサッと取って台所に向かった。

『たぶん、たいしたもの入っていないかと』

「自分の冷蔵庫なのに、何が入ってるか分かってないっていうあたりが、
 やっぱり男だよね。仕事とかほかのことはマメなのに」

『仕事に?・・・そうですかね・・・自分ではそんな風に思ってないんですけど』

正直にそう答えると、冷蔵庫にかけた手がピタっと止まった。
意味ありげに俺の方を向く。

『え・・・ほんとに自分では・・・』

なにかマズイことでも言ったか?
焦ってあたふたすると、すこし尖った口調で彼女が言った。

「・・・ねぇ。何でいつも中途半端な敬語なの?気になるんだけど」

『え?中途半端?』

予想外の言葉に、今度はこっちの方の動きが止まる。

「そう。敬語の時とそうじゃない時と、メチャクチャなんだけど」

『そ・・・そう、ですか?あまり気にしては・・・』

「ホラ!タメ口で話してよ。仕事仲間暦も長いし、歳だって1つしか変らないんだから」


ズキッと胸の奥で音がした。

なにを傷ついてる。
ただの年齢差を言われただけ。
彼女が1つ年上というだけじゃないか。
だから何だというんだ。
なにも変わることはないのに。


『・・・そうだよね・・・うん』


自分に納得させるように言った。
その言葉が聞こえているのかいないのか、彼女は冷蔵庫を開けて苦い顔をした。

「・・・ちょっと、食べ物がほとんど入ってないじゃない。調味料だけってどういう事?」

冷蔵庫をまじまじと覗きながら彼女が言った。

『あれ、なんか玉ねぎあたりなかったかな』

わずかな記憶を手繰る。
その言葉とほぼ同時に、彼女が玉ねぎを手にした。

「玉ねぎだけってなに?ごはんどうしてるの?っていうか、食べてるの?」

半分に切られた玉ねぎの状態から、最近調理していないことに気づいているんだろう。

『いつもコンビニとかで・・・』

「嘘。家ではたまにしか食べないんでしょ」

引きつった笑顔で答えると、それをぴしゃりと否定した。
当たっているから言い返せない。


『・・・そうです』

「もう・・・どんな生活送ってんだか」

『・・・すみません』


返す言葉も無い。
食事を抜くことが多いことは確かで、
バイト先でも昼ごはんのときに「食べる量が少ない」と誰かに言われたことがある。
お腹がすいても、あまり食欲がないのが本当のところ。
そんなこと、彼女はなにも聞かずとも気づいているんだろう。

一度ぐらいしか立ったことのないはずの俺の台所で、
手鍋に水を入れるとコンロの上に置いて火をつけた。
慣れた手付きで包丁を取り出し、まな板を用意すると、先ほどの玉ねぎを切り出した。

リズムよく切る音が心地よい。
懐かしさを感じる。


「すぐに出来るから、座ってていいよ」


台所の隅でぼーっと突っ立っている俺に、優しく声をかけてくる。
黙って立っていられても、正直困るところだ。
焦って何かしなきゃと考えるが、なにも出来ることはない。

『あ、買ってきてくれたお弁当、半分にする?』

「せっかく買ってきたのに私が食べてどうするの。
 それより男でお弁当半分だなんて栄養足りないよ」

俺の食に対する意識があまりに軽いことを優しく諭す。
単に面倒だから食べない、そんな安易な理由じゃないことも分かっているんだろう。

「大丈夫。私は家に帰ればちゃんとごはんあるから」

にっこり笑うと、コンロの火を止めた。
いつのまにか、作り終わっていたらしい。
何で味をつけたのだろうか。

「とにかく、ソファーに座って。ちゃんと食べてちゃんと休まないと。ね」

俺の背中を押しながら、ソファーの前まで来るとサッと毛布を畳んだ。
大人しく座った俺を見て、満足そうに笑った。


電子レンジで弁当を温めている間に、作りたてのスープを持ってきてくれた。

『ありがと・・・コレなんのスープ?』

「コンソメ。固形の素があったから、そこに玉ねぎきざんで入れただけだよ」

『へぇー』


よく簡単に思いつくものだと感心する。
まじまじとスープを見ていると、温め終わった弁当を持って彼女がとなりに座った。

「はい。ちゃんと食べる」

そう言って箸をくれた。

『ありがとう。じゃあ、いただきます』

「どうぞ」


自分の部屋で誰かを隣に食事をしたのは、これが初めてだった。



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| 「僕の一日」  | 16:24 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  12

気がつくと外は真っ暗だった。
睡眠薬が効いてぐっすりと眠っていた証拠だ。

ゆっくりと起き上がり、開けっ放しのカーテンを閉めた。
そこにチャイムがなる。
この鳴り方は・・・。

足早に玄関へ向かって、ドアを開ける。
心配そうな顔をして彼女が立っていた。

「具合はどう?」

仕事で疲れているだろうに、そんな雰囲気はまったくない。

そうやっていつも周りを気にしている。
今日だって俺の代わりにフルで働いているのに。
そう、フルで。

あれ?

寝ぼけていた頭がやっと動き出す。

『もう10時過ぎてる・・・よね・・・』

彼女がここに居るということは、仕事終わりということ。
部屋を片付けソファーに横になって、程なく深い眠りについたあと、
一度も起きることなく眠り続けていたのだ。
8時間以上は眠り続けていただろうか。
それだけ続けて眠ったのはいつ振りくらいか。

「質問の答えになってないよ」

『あ・・・すみません・・・えーっと・・・』

「もう夜の10時30分過ぎたよ。ごはん食べてないでしょ?」

『え・・・あ、今起きたとこ・・・・』

なんだか頭の中が混乱する。
まだうまく状況が飲み込めない。
なんでまた彼女は家まで来たんだろう。

「じゃあ今日は朝ごはんしか食べてないんだね?」

『・・・ヨーグルトを一つ・・・』

「それは食べたうちに入らない。 
 そんな事だろうと思ってお弁当買ってきたよ」

『あ、ありがと・・・ございます』

持っていたコンビニの袋を俺に差し出した。

普通なら仕事帰りに自分が降りる駅とは関係ないところまで来て、
弁当を買って持ってくるなんて、面倒くさくてよっぽどじゃなきゃやりっこない。
仮にも今日はフルで朝から働き通しなのに。
どうして彼女はこんなに・・・。

『・・・あ、すみません。立ち話させちゃって・・・』

肌寒い中、部屋に入れもせずにいることにやっと気づく。
いけない、まだ頭の回転が悪い。
かなり失礼なことをしている。

「気にしないでいいよ。私はあと帰るから」

『え?』

ドクンと心臓が脈打つのが分かった。

「じゃぁね、ちゃんと食べるんだよ」

彼女がくるりと振り返り、背を向ける。

くるりと。


背を向ける。
振り返る・・・帰る・・・。
彼女の姿がかすれていく。


『・・・待って』

小さな声で口走っていた。
反射的に発した言葉に自分でも驚く。

「え?」

彼女がこっちを向く。

『・・・あ、待って』

そのあとのに続く言葉が見当たらない。

『・・・あの・・・』

「・・・なぁに?」

『・・・・・お願いがあるんだけど・・・』

もしも可能なら。

「何?」

『少しだけ、時間もらえないかな』

「・・・終電までならいいよ」

時計を見ながら彼女が言った。

『ありがとう・・・』

肩の力がぬけるほど安心した。


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| 「僕の一日」  | 16:23 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  11

マンションの玄関の前に立ちポケットに手を入れ、鍵取り出す。
鈍い音とともに、ドアが開く。
ドアを境に暗い世界が口を開けている。
部屋は散らかったまま、数時間前をそのままに残していた。

片付けないと。

部屋へ入り、ゆっくりソファーに座る。
コンビニで買ったヨーグルトを開けた。
袋に一緒に入っているスプーンを取り出して手が止まる。

なんとも、ものを食べる気になれない。
いっそこのまま薬を飲んでしまおうか。
別にこのまま胃に入れたところで、どうにかなるほど敏感でもなければ、
この手の薬に慣れていないわけじゃない。
さっきサンドウィッチも食べたことだし。
ただ決まりとして「食後」というだけのこと。

でも。

誰のおかげでこうして薬をもらってこれたのか。
それを考えると、安易な考えしか浮かばない自分がつくづくバカだと思う。
自分への叱咤の意味も込めて小さいため息をついたあと、ヨーグルトを食べ薬を飲んだ。

太陽の日差しが一番高いところにあることに気づいたのは、
薬を飲み終え部屋の片づけをしようとしたとき。
カーテンの隙間から強い光が差し込んでいるのに、この部屋の空気が澱んでいる。
それは自分のせいだと分かっている。

カーテンを開け窓を全開にし、サッシに寄り掛かりながら外を眺めた。
隣接するマンションやアパートのベランダには、この快晴を大いに喜んでいる人たちの様子が、
ベランダに干してある布団や洗濯物でよく分かった。
天気が良ければ、気分的にも気持ちがいいものだ。
そんな風に感じることがある自分がいることも知っている。

でも今はそう感じられない。
なにもかもがどうでもよく感じられてしまう。
それはいけないと分かっているんだけれど。

まぶたを閉じて耳に意識を集中させる。
これだけの天気なのに、優しい音がほとんどしない。
今の自分に聞くことができない。

『別に、いいんだけど』

心が塞いでしまっているからこんな気分なのも、優しい音を聞けないのも、
誰が言うまでもなく分かっている。
分かっている。
だからこそ休養が必要なことも。

そのために彼女がいま俺の代わりをしてくれている。


窓に背を向け部屋の片づけを始めたのは、病院から帰ってきて1時間後のことだった。
思いのほか早く片付け終わったので、早々に身体を休めようと毛布を引っ張ってソファーへ座った。
羽織ったままのジャケットを脱いだとき、ポケットからカサッと小さい音がした。

彼女の手紙。

テーブルにそれを置いてソファーの上で横になった。

クッションを枕に天井を見上げる。
だんだんとぼやけてくる焦点。
見ているようで、見ていない。
見えているようで、見えていない。
そんな感覚はラクで、ずっとこのままぼんやりと天井を見ていたいと思った。

でも眠ることが必要。そのための時間。

ゆっくりと目を閉じる。

何も見えなければ良いと願いながら。


いつも見てしまうから。


恐くて。


いつまで経っても。


忘れられないんだ。


あの曖昧な記憶でさえ。



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| 「僕の一日」  | 16:20 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  10

家路に着く途中、コンビニでヨーグルトを買った。
食欲は無いが薬を飲む関係上、食べないわけにもいかない。
 
『彼女の月1早番掃除のとき、代わらないとなぁ・・・』

ぼやきながら左手首を見る。

何でだろう。
彼女の存在は。
そこに人がいることが、まるで嘘のように穏やかで。

今朝のことを思い出して、目を細めた。
記憶に浸ろうとした瞬間、意識を叩くように携帯が震えた。

メール受信だ。
誰からかは、画面を見る前に分かった。
ポケットから携帯を取り出し、メールを開いた。


“病院にちゃんと行った?
 今日はゆっくり家で休むように。
 店長には「熱がある」って伝えておいたから。
 だから無理はしないで寝てるように。
 仕事の事は気にしないでいいからね”


想像できたメールの内容だったが、「自分が休む」ということで発生する問題に気づく。
最短の方法で彼女の携帯へ電話をかけた。
3コール目で繋がる。

『・・・・あ、もしもし!』

「病院行った?」

『それは行きました。それより仕事!
 休んでいいって、俺の分は誰が働くんですか?!』

「大丈夫だよ、私が出るから。ゆっくり休んでて」

やっぱりそうだ。
よっぽどでなければ、ほかの人にお願いするはずがない。
だからこそ今朝わざわざアパートまで来たのだ。

『でもそうしたらフルで働く事に・・・』

「慣れてるよ。そんなに心配しなくても平気。しかも明日休みだしね」

『でも・・・・』

「もう店長に言ったから変更はきかないよー」

少しふざけたような口調で「休みなさい」と言っいる。
シフトの変更などいくらでも出来るはず。
出来るはずなのに。

「ゆっくり寝るんだよ」

『わかりました・・・。すみません、よろしくお願いします』

「はーい。じゃぁね」


ゆっくり携帯を耳から離した。


彼女は自分を省みない。
自分の事は後回しで。
他人を優先する。
辛い顔はみせない。
誰にでも笑顔で接する。

優しいのだ。彼女は。


誰にでも。


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| 「僕の一日」  | 16:19 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日  9

目的地の駅に着き、人混みの中を歩いて改札口をでる。
病院まで歩いて10分。
そんなに有名な病院でもないし、大きくもない。
開業してまだ間もないようで、病院が入っているビルは新しい。
この病院を選んだ理由はとても簡単で、予約しなくても診てくれるということ。

もうひとつは自分にとって心地良い空気をまとう医者だったから。

病院に着くと、いつもの受付の人が「こんにちわ」と笑顔で挨拶をしてきた。
感情のこもってない挨拶を返し、診察券を渡した。
思いのほか空いていて、20分と経たないうちに「どうぞ」と受付の人に呼ばれた。

診察室に入った瞬間、その空気の強さに泣いてしまいそうになった。
この小さな診察室が目の前にいる医者一人の空気で満ちている。
これだけ空気を平然と背負っている人を、ほかに知らない。
胸の中に手を無造作に入れられたような感覚に陥る。
それでも嫌な感じは一切しない。
むしろ気持ち良いとさえ思う。

「珍しく早い時間に来ましたね。どうしましたか?」

俺を椅子に座るよう促しながら言った。
おそらくまだ30代半ば。若い医者だ。
同じ30代男性でこうも違うものかと、電車内での出来事を思い出す。

『はい。朝方、発作を起こしてしまって』

椅子に座りながら答えた。

「薬は飲ましたか?」

『・・・薬は無くて、それで今日もらいに来ました』

カルテに視線をおとすと、ほんの少しだけ表情を硬くして医者は言った。

「薬はこのまえ来た時に、ちゃんと処方したはずですよね。
 しかもまだ残っているはずです。どうしたんですか?」

一番聞かれたくないことを的確についてくる。
分かっているんだ。俺自身も。何を言われているのか。
だからこそ返答が出来ない。

「あれほど駄目だと言いましたよね?どの位、飲んだんですか?」

『・・・15錠ほど・・・』

「二度としないで下さいね。過剰に飲んでも逆に具合が悪くなるだけですよ」

『はい』

優しく注意をする。
別に珍しいことでもない。
こんな馬鹿なことをしている人間は。

「いま何を思っていますか?」

『え?・・・・特に何も』

不意をつかれた。
唐突な質問。

「自分を責める事はないですよ。
 あなたに今日、会えた人はラッキーかもしれないですね」

笑いながら医者は言った。

『何故ですか?』

「とても穏やかな顔をしているからです。発作を起こした後には見えないくらい」

『・・・・・』

無意識に左腕を掴んでいた。

「それから、なるべく自分を傷つけないで下さいね。大事な自分なんですから」

『・・・はい』

医者は穏やかにまた笑った。


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| 「僕の一日」  | 16:18 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  8

女性の手を引いて再度、満員電車に乗り込んだ。
大学はあと3駅先だった。
たった3駅でも、いまの状態では怖いだろう。
また、今度は別な人が・・・そんなことが頭をよぎるに違いない。

女性が離れないよう、その手を強く握ったまま、
無理やり人を掻き分け、車両の隅まで行った。

『ココなら少しはマシだと思いますよ』

隅に立たせ握っていた手を離し、自分はその前に立って周囲に壁を作った。
こんなとき180cmの身長が約に立つ。

「・・・すみません・・・ありがとうございます」

肩をすくめ胸元で大きなカバンを持ちながら女性は小声で言った。
電車が動き出すと会話は途絶えた。
満員電車の中、会話はなかなか難しい上、なにより周囲に睨まれる。
ただ女性に害が無いことを確認し、ぼんやりと外の景色を眺めていた。

ほどなく女性の目的の駅に着き、また手を握り一緒に降りた。

改札口へ急ぐ人たちを背に、女性が頭を下げた。

「本当に、ありがとうございました」

『いえ、これからは気をつけて下さい。それじゃ』

短くそれだけ伝え女性に背を向け、反対側のホームへと向かった。
そのとき。

「あ、あの!」

今までの会話の中で一番大きい声がした。
振り返り女性を見た。

「あの・・・」

女性はそのままうつむいてしまい、続く言葉を失っていた。

『・・・・どうかしましたか?』

「いえ、あの・・・・」

『・・・?・・・もしかして具合でも悪いですか?』

その言葉にパッと顔を上げ「いえ!そうではなくて・・・」と続けた。

女性から離れた分、また近づいて顔色を伺う。
体調が悪いわけではなさそうだ。

『・・・何か僕のことで聞きたい事でもありますか?』

もしかしたら助けたことが逆に、不審に思われたかもしれない。
不安なことがあるなら、答えようと思った。

「・・・あ・・・あの名前を・・・」

『・・・・』

名前か。

『僕の名前ですか?』

分かっていることを確認する。

「はい・・・」

真っ赤になって、またうつむいた。
何となく分かるパターン。
でも名前くらい構わない。

『有利といいます』

彼女はパッと顔をあげた

「あ、ゆ、有利さん。あの・・・本当にありがとうございました」

懸命に彼女は言って、こちらへ頭を下げた。
その時、きれいな音がした。
他の誰にも聴こえない音。
その空気も心地良かった。

『いえ、それじゃぁ気をつけて』

少しだけ笑って、また反対側のホームへ歩き出した。

耳にはまだきれいな音が残っている。


たまには良い事もするべきかな。
こんなにきれいな音が聞けるし。
それに、自分だって、いつも人にお世話になってるから。


左手首を抑えながら電車を待った。


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| 「僕の一日」  | 16:17 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  7

サンドウィッチを食べ終わると上着のポケットに手紙を入れた。
重い身体を引きずりながら立ち上がり、玄関を開けると太陽が目に入ってきた。

朝日は苦手だ。

最近こそ減りはしたものの、ここ2年ぐらい気だるい身体にその朝日を浴びている。
その度に追い込まれる気がしてならない。
何に追われているのか、それは自分でも分からないけれど。


朝のラッシュ時に病院まで電車を乗り継ぐ。
人混みの中、他人だらけの中で他人のフリをしてる自分。
他人なのだから意識などしないでいいのに、くだらない何かが他人であることを演じさせた。
1ミリの隙間もないんじゃないかと思えるぐらい、人が詰まった電車に揺られながら病院へと向かう。
朝に聴こえた小さな音も、ここでは聴こえるはずもない。
雑音と大量の人の空気と全てが混ざって、居心地の悪い空間を作り出している以外の何ものでもない。

そんな状態の中で「ピン」と糸を弾いたような音が耳に入った。
身動きとれない電車の中で、顔だけ音が聴こえた方向に向ける。

女性がうつむいてて立っている。
同い年ぐらいだろうか。
うつむいたまま硬直している。
その後ろにはサラリーマン風の30代位の男性がピッタリとくっついている。
男性は落ち着かない様子で周囲を気にしている。
その視線は挙動不審でしかない。

あぁ。そうか。
さっきの音は。
彼女の。

どんどん身体を小さくさせていく女性は、俺が気づいている事に気づいていない。
周囲の人もこの人込みに同化したサラリーマン風の男性が何をしてるかなんて、気づいていないだろう。
気づいていたとしても、きっと知らぬ顔をしているのだろう。
女性はひたすら自分の身体を縮めていた。
もともと小さいだろうその身体を限界まで縮め、なんの抵抗もできずにいた。


目の前にいたら、すぐに助けられるけれど、手の届かないところにいる。
身動きの取れない車内で、見知らぬ女性の所まで人込みを掻き分けて行くほど、
いまの自分は優しくもないし、意識も半分どこかへ飛んでしまっていて現実味が沸かない。
あくまで自分とは関係のない、切り離された世界での出来事でしかない。
正直なところ、どうでもいいと思った。

視線を戻すと目的の駅のアナウンスが流れた。

降りないと。

ガコンと音をたてて電車のドアが開くと一気に人が外へと流れ出した。
その流れる中に自分も紛れ、電車を降りる。


結局、みんな、他人さ。


その感情は変わる事は無い。
でも。

それでも、自分の耳に聴こえた音。
それは大事にしたい。

『・・・・』


電車から降りる人の中を逆流して、女性のところへと足を向ける。
無理矢理人をかき分けて、うつむいたまま動かないでいる女性の手を取り、強引に電車を降りた。
その最中、周囲からは俺に押されただろう人たちの敵意が向けられたが、
そんなものは無視して、女性の手を離すことなく足早に電車から離れる。
女性の方は見もせず、改札口とは逆方向の人の少ないところへと向かった。

ホームの端の方まで行くと、人の数は満員電車が嘘のように少なかった。
歩く速度を落とし女性を見ると、何が起こったか分からないような顔をして、
俺に引きずられるように歩いていた。
何も言えず、抵抗も出来ず、ただ耐えていたせいか、うまく足が動かないようだった。

歩きを止めても、女性はぼう然と俺を見ていた。
電車の中で思ったとおり、小柄な人だった。
俺はつかんでいた手を離しながら言った。

『相手は電車から降りてないので、もう大丈夫です』

安心させようと言ったものの、反応がない。
ただ目を丸くさせてこちらを見ている。

『あの男の人・・・いつもあの電車で?』

なるべく怖がらせないよう、優しく聞いた。
女性は我に返ったように真っ赤になった。
視線を地面に落とし、女性は小さくうなずいた。

『今度は違う車両か、時間帯を変えた方が良いと思いますよ』

そう言うと、電車に乗っていたときのように、どんどんうつむいていった。
少し身体を縮こませながら、持っている大きなカバンを両手で強くつかんだ。

「・・・何も言ってないのに・・・何で・・・」

そう言った身体は震えていた。

『・・・何となく』


この耳の中に直接音が聴こえた事は喋らない。
所詮は、誰も信じないだろう事だから。


「わ・・・私、恐くて、何も喋れなくて、動けなくて、それで・・・」

感情がやっと戻ったのか、涙が地面へこぼれ落ちた。

『うん。次は別の電車に乗りましょうか』

普通に喋った。

「・・・はい」

女性は小さく頷いた。

『ところで仕事に行く途中じゃなかったんですか?』

「あ、えっと、大学に行く途中で・・・」

『そうですか。じゃぁ、あんまり遅刻は気にしなくても大丈夫ですよね』

「は、はい・・・」

『このラッシュが少し落ち着いてから乗った方が良いと思いますよ』

「えっと・・・はい」

まだ彼女の頭の中は混乱しているようで、ひとりで放っておくのも気が引けた。
なにより自分でここまで引っ張り出したのだ。

『僕はココの駅なんですが、一緒に休みますか?
 怖いなら目的地まで一緒に乗っても構いませんが』

うつむいていた彼女の目が俺の目を見た。
助けを求めた気がした。
けれどその口からは、うまく言葉がでない。

「・・・・えっと その・・・」

助けてくれた人とはいえ、俺だって赤の他人。
わざわざ電車に乗るのに、付き合って欲しいとは言えないのだろう。

『駅は何処ですか?このラッシュはまだ続きますから、一緒に乗りますよ』

その言葉を聞いた女性は、ホッとしたように少しだけ笑った。

「ありがとうございます」

女性から張り詰めていた空気が解けた瞬間だった。


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| 「僕の一日」  | 16:14 │Comments2 | Trackbacks0編集

僕の一日  6


今のバイト先に勤めだして2年になる。
街中のショッピングビルにある雑貨屋。
女の人が好きそうな小物から、男物の服やリングなど多数取り扱っている

あれは通常の出勤日に、月1回の早番掃除と間違って8時に出社した暑い夏の日だった。
2回しかやったことのない月1早番掃除に、まだ慣れていなかった俺は、
バタバタと階段を上って3階にある店へと急いでいた。
まだビル内のクーラーがほとんど起動していないようで、蒸されるような空気が充満していた。
真夏の真っ只中、なるべくなら走りたくないがそうも言っていられなかった。
勢いよく店のバックルームを開けると、少し驚いた顔で彼女がこちらを向いていた。
近付いて来る大きな足音で気付いていたらしい。

「おはよう。どうしたの?こんな早くに。
 まだ8時だよ。今日は9時半出社じゃないの?」


あれ?


『え・・・今日の早番掃除って俺じゃなくて?』

混乱気味に言ったら、彼女は小さく笑った。

「今日は私が早番掃除。あなたは普通出社。まだ寝てていいのに」

『・・・間違った?』

「うん。間違ったみたいだね」


間違った恥かしさでうつむいていて黙り込んでしまった俺に、
くすくすと笑いながら彼女が続けて言った。

「じゃぁ、せっかく早く出勤したんだから、手伝ってもらおうかな?」

そんな言葉でこの状況からあっさりと救ってくれた。

俺も笑いながら、『はい』と答えた。


そこに優しい声で一言付け加えられた。

「でも事務所の書類の整理とか、服の整頓とかぐらいでいいからね」


この店の「月1早番掃除」とは、通常毎日行う掃除とは別に、細かいところまで掃除する日のことをいう。
6人いるスタッフ全員が月1回は必ず通常勤務より1時間半早く出勤して、店の隅々まで丁寧に行う。
要領が悪いと時間内で終わらないのがこの「月1早番掃除」。
俺はどうもこれが苦手だった。

『え、でも水拭き掃除とか大変じゃぁ・・・』


書類を整理しながら言った。
そう言った自分が馬鹿だった。

「手が汚れるよ。あまり汚い手で傷口を触るものじゃないよ」

書類を持つ手が止まる。それがまずかった。
切り返すのに時間がかかってしまった。 

『・・・何を言ってるんですか?掃除で手が汚れて当たり前じゃないですか』

とっさの返事も墓穴を掘ることになる。

「手が汚れるのは構わないけど、その手で傷口を触ることを心配しているの」

『・・・・なんですか?傷口って』


冷や汗が流れる。 
軽く唇が震えた。
くるりと振り向き、歩み寄って来た彼女に迷いは無かった。
俺の左腕を掴んでつけていたリストバンドを静かに外した。
なぜか抵抗することができなかった。

一度、左腕に視線を落としたものの、すぐに俺を見た。
そして強くもなく、かといって優しすぎない口調で彼女が言った。


「これは何?どうしたの?包帯を巻くくらいの傷、どこでつけたの?」

『・・・・』

返す言葉さえ浮かばなかった。

「どんなに隠しても気付く人は気付くよ」

『・・・・』

「誰にも言うつもりもないよ。だからそんな顔しないで」

『・・・・え?』


動けなくなってしまった身体は、ただ彼女に左腕をつかまれたまま、
嘘の笑顔をつくることを覚えていたはずの顔からは、止まることなく涙が溢れていた。
硬直してしまった意識からはそれにすら気づけなかった。

彼女だけが冷静に、全てを見ていた。

ゆっくりと左腕から手を離すと、そのまま俺の頭をなでた。


「自分のペースでいいと思うよ。周りの事を気にしすぎないで。
 大丈夫。みんな気付いてないから。怖がらなくていいよ」

『・・・・はい』


彼女にだけ聞こえるような声で返事をして、その肩に顔をおとした。
黙って頭をなでてくれるその手は、小さくて優しかった。
彼女の肩はとても細く、少しでも力を入れたら折れてしまいそうだった。

俺の肩ぐらいしかないその小さな身体は、こんな俺を助けてくれるかもしれないと思った。

理解してくれるかもしれないと思った。


それから数日後、彼女に合鍵を渡した。
その日以来、玄関の内鍵はかけていない。



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| 「僕の一日」  | 16:13 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  5

薬を探し回ったせいでめちゃくちゃになった部屋の中で包帯を探す。

『もう・・・仕事場に着いたかな・・・』

ひとり呟いて棚から見つけた包帯で手首を巻きだした。
普通の高校の普通科卒業でたいした怪我もした事のない自分が、
簡単に包帯を一人で巻ける事実が少し悲しく感じた。

自分でやって、自分で覚えたこと。

包帯を巻き終わると、床に落ちたままの上着を羽織って玄関へ向かった。
靴を履こうとしたときに、目に入ったのは茶色の紙袋。

何だろう。

ガサッと開けてみると サンドウィッチが入っていた。

『・・・分かってるなぁ・・・』

何も食べないで出かける事を、彼女は分かっている。
それが身体に、どれだけ良くない事かも。
数時間前の酒のせいで頭も痛いし、食欲もないけれど、これだけは食べないと。

袋からサンドウィッチを取り出すと、その下には紙が一枚入っていた。
見てみると彼女からの手紙だった。


“もう少し太ってもいいんじゃない?
 少なくても、朝食はちゃんと食べるように。
 コンビニでもいいんだからね。
 本当は家でちゃんとご飯作って食べるのが良いんだけど。

 一人が好きなのもわかるけど 、
 一人では大変なこともあるから。
 
 今はまだ体調も良くないし、無理はしないこと。
 とにかく自分をもっと大事に。

 料理が上手で優しい彼女を早く見つける事も大事だよ”



『・・・料理が上手で優しい彼女ね・・・』

サンドウィッチに目をやる。
ドコの店で買ってきたのか?と聞きたくなるが、
彼女が作った事は分かっている。

そのまま玄関に座り、サンドウィッチを口にしながら記憶をたどってみた。


これといって何も知らない相手から、「付き合って欲しい」と言われても、 
なんで自分なんかと付き合いたいと思うのかが分からなかった。
その相手と付き合いたいと思った事もなかった。

友達に聞いてみれば、
「お前カッコイイもん。性格も良いし、優しいし、みんなに平等だし。
 そりゃあ、女は好きになるんじゃない?」
そんな返事が返ってきた。


それは違う。


友達の言葉を心の中で否定する。

優しくしているつもりはない。
自分のことすらままならない人間が、他の人にまで気を配れる程、自分が器用ではないと知っている。
それに相手は、本当の俺を見たことない。
ましてリストカットしてるなんて知った日にはどう思うだろう。
勝手に理想像作り上げてる相手に、いきなり言ったら絶対に困惑して後退りする。
もしくは逃げ出すかも。
頭の中でそんな状況を思い浮かべていた。
途端、サンドウィッチをた食べる手が止まる。


逃げ出さない人がただひとり。

彼女は、逃げない。

逃げなかった。



俺が何かを言う前に、彼女は気付いていた。
長袖や時計、リストバンドなど通用しなかった。
俺の行動や目を見て、それだけで分かっていた。

初めて不意打ちをくらった人だった。


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| 「僕の一日」  | 16:12 │Comments3 | Trackbacks0編集

僕の一日  4

ピーンポーン。

ボタンを押している時間と間隔で音の鳴り方が変わる機械式チャイム。
だから分かる。
そこに誰が立っているのか。

ピーンポーン。

また同じようにチャイムが鳴る。

玄関に向かうこともできず、ただテーブルの前で立ち尽くす。
呼んでいるのは分かっているのに、足が動かない。

「入るよ」

玄関の向こうから、近所に注意を払ったような声がした。
ドア越しに聞こえてきた声の主は知っている。


ガチャガチャ、カチャ・・・。


鍵を開ける音を聞いて確信する。
この部屋の合鍵を持っているのは、ただ一人。

静かにドアを開ける音がする。
ゆっくりと入ってくる足音。

「大丈夫?今日、早番なの覚えてる?」

視線だけ足音がした方へ向ける。
玄関にはいつもと変わらない彼女が立っていた。

少し眉をひそめて視線を受け止めた彼女が、靴を脱いで部屋へ入って来た。

体勢も変えず、ただテーブルの前で立っている俺の前まで来て、
持っていたカバンを静かに床に置いた。
酷く散らかった部屋は、彼女の目にどう映っているのだろう。

「・・・薬は?」

驚きもしないで、そう言いながらカバンからティッシュを取り出し、床に落ちた血を拭いた。
すぐそばに落ちていたカッターも拾い、刃を戻しテーブルに置いた。

返答がないのも気にせず、俺の代償の後始末をする。
カバンからハンカチを出して、まだ血が出ている俺の左手首を優しく押えた。

途端に気持ちが緩んだ。

泣きそうな気持ちになっていることに気づく。
きっと情けない顔をしている。
喉の奥が苦しくなっていくのを感じる。

返事も反応もしない事を咎めるでもなく、彼女はただ左手首を押えていた。

「大丈夫」

小さく呟く声を聞いた。
その声に返事をするように、静かに彼女の肩に顔を落とした。



彼女はバイト先の人で、別に自分の恋人でもなんでもない。
ただの仕事仲間。

俺も彼女もそれは分かっている。


「今日の朝は私が変わりに出勤するから、病院に行ってきたら?」

『・・・うん・・・ごめん』

なんとか声をしぼり出す。
彼女の肩に顔を落としたまま動けない。

「いいよ。気にしなくても」

『ごめん・・・』

何とか頭を持ち上げ、体勢を立て直す。
空いている右手で顔を覆った。

「じゃぁ、もう時間だから行くね」

彼女がハンカチはそのままにその手を自分から離す。
カバンを持つと、くるりと振り返り彼女は玄関へと向かう。
彼女が仕事に行く。
うつろな目で彼女の後ろ姿を見つめる。


彼女が行ってしまう。


彼女は靴を履いてドアを開けた。


待って。行かないで。


声にはならなかった。

静かにドアは閉まり、ガチャっと鍵をかける音がした。
足音が遠ざかっていく。

足音が聞こえなくなったのを確認してから、自分の腕にあるハンカチを見つめる。


病院に行かないと。
せっかく代わりにバイトに出勤してくれているんだ。


台所に行って、水道をひねった。
冷たい水が、血を洗い流す。


『寒い・・・』


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| 「僕の一日」  | 16:10 │Comments6 | Trackbacks0編集

僕の一日  3

ガラス越しに見える空は青く、きれいだった。

何で空は青いんだろう。

ふと疑問に思った。
調べればすぐにでも答えが出てくるような、そんな簡単な疑問。

でも、科学的な根拠は聞きたくない。
そんなもの、いらない。

証明されたことなんて。

もう一度目をつぶって、両手で耳を塞いだ。
かすかに、キーンと耳鳴りのような高い音が聴こえてきた。

『これだけなら今日は大丈夫かな』

昨日よりはずっといい、そう思った瞬間。
耳を貫いた音。


遠くから聞こえてくる救急車のサイレン。
現実の音。

『っ・・・・』

口元を抑えて、その場にしゃがみ込んだ。
なんの制御もなく耳に流れ込んでくる。
どんどん近づいてくる。

『はぁ・・・はぁ・・・つっ・・・』

一気に呼吸が速くなる。
脈が乱れ打つ。
心臓の音が耳を打つ。
血がザワザワする。


『・・・はぁ・・・やめろ・・・』



思い出したくない。
やめてくれ。
触れないでくれ。
その記憶はダメなんだ。
その記憶だけは。

思い出させるな。
勝手に触るな。
人の中に入ってくるな。


自分では止められないんだ。


『うぁっ!!・・っ・・・はぁ・・・ぁ』


両耳を力任せに塞いで、部屋の隅に転がり込んだ。

身体の震えが止まらない。
見開いた目には何も映らない。
迫ってくる、言いしれない恐怖。

『違・・・っ・・・俺は・・・』


あぁ。薬を飲まないと。
そうすれば治まる。
眠れる。
この状態から解放される。

薬はドコに。
ドコに置いた。


部屋中を探し回る。
テーブルの上も、引き出しの中も、床の上にも、
手当たり次第、ひっくり返した。

ドコにも無い。

薬がないと ダメなんだよ。
薬が・・・。

ぎゅっと強く目を瞑ったとき、反射的に思い出す。
きつく閉じた目をゆっくり開きながら、ゴミ箱の方へ向ける。

沢山の薬の飲んだ跡。
そうだ。一気に飲んだんだ。

『・・・・はぁ・・・・・・』

薬はない。

この衝動を抑えないと、壊れてしまいそうだ。

呼吸は荒れたまま、テーブルに視線を戻し、歩き出す。


散らかったテーブルの上にゆっくりと手を伸ばす。

手にしたそれは色んな意味で使い慣れてしまった。
切れ味が悪くなって、何度かそれの刃を折った記憶がある。
そもそも仕事先で使おうと買ったはずだったのに、
今では別の目的のためにこんな部屋のテーブルの上に放置されている。

チキチキチキ。

刃をスライドさせる音。

ポタリ。ポタリ。そんな音が聞こえてきそう。 
血が床に落ちた。
その光景をただ見つめた。

だんだんと焦点は合わなくなっていき、その代わりに呼吸が落ち着いてきた。
こんなことをしても何の解決にもならない事は、よく分かっている。
分かっているけれど、これ以外の方法をまだ知らない。

どうやったら自分を保つことができるのだろう。


自分を維持するのに、何かの代償無しには無理なんだ。
今の自分には。



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| 「僕の一日」  | 16:09 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日  2

カーテンの隙間から日差しがのびてくる。

ソファーに座り辺りを見わたして、ため息をついた。
せまい自分の部屋の掃除もまともに出来ていない。

洋服やら身体についた煙草の匂いは、部屋にも染みついている。
煙草は嫌いなのに。

仕事上、仕方のない事。

台所まで歩いて行き、水を飲む。
頭が割れるように痛い。

酒の飲みすぎか。

『まぁね』

1人つぶやいて、ソファーの上に戻ってテレビをつける。
平日毎日変わらずやっている朝の番組。

画面に映っているのは誰なんだろう。
きっと知名度は高いんだろうけど、名前は浮かんでこなかった。

どうでも良かった。

自分はまた、昨日と同じ日を繰り返す。
画面の中と何の関係もない。

テレビを消して、両耳を手で覆う

『今日は音が聴こえない』

体調は、昨日よりは良いかもしれない。
重い身体を引きずって、ベランダの方へ向かいカーテンを開けた。


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| 「僕の一日」  | 16:07 │Comments0 | Trackbacks0編集

僕の一日 1

目が覚めたら陽が昇りかけていた。
床にそのまま眠っていたようで、電気もつけっ放しだった。

毛布を引っ張り出してソファーの上で丸くなる。


もう少しだけ寝よう。


目を閉じたところに聴こえてきたのは、スズメの鳴き声だった。

ゆっくりと目を開く。

優しい目覚し時計だと、ふと思った。


スズメの鳴き声が聞こえなくなってから、毛布から這い出て顔を洗った。


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| 「僕の一日」  | 16:04 │Comments8 | Trackbacks0編集

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